第8回は、大分県別府市在住で2019年卒業の中村彩子さん。
島暮らしから都会暮らし、そして2021年再び別府に戻り、別府の魅力を日本中や世界中に発信されています。
また彼女は、私の大学の同期であり、とても親しい友人の一人でした。
卒業後、どんな経験をつみ、今のお仕事をしているのか、またA P Uでの活動も深堀しながら彼女の熱い思いを楽しくご紹介していきます!
――久しぶり!ちゃんと話すの3年ぶりぐらいだよね!元気だった?
中村: 元気よ〜!インタビューのお話もらって、これまでのインタビュー記事全部読んだけど、色々な先輩方のお話すごい素敵だった!自分自身についての振り返りにもなるし、私でよかったらよろしくお願いします!
――ありがとうね!私も彩子のインタビュー記事書けるのすごく嬉しいよ!
じゃあまず、入学してからAPUでどんなことをしてたか聞いてみようかな。
中村: 1回生の夏にイマージョンプログラムに参加してニュージーランドでホームステイを体験したんだよね!それまで私、英語は好きだったけど全く話せないし、海外にも一回も行ったことがなくて不安だったから、ぎりぎりまで応募するかどうか迷ってて、とりあえず行ってみるかぐらいの気持ちで参加したんだよね。最初は全然理解できなくて落ち込んでたけど、カタコトでも話しかけてみたら意外とみんな受け入れてくれて、「あ、いけるかも」って思ってからは自信がついてきて、割と積極的にコミュニケーションを取りにいってたかなぁ。
しかも英語って初対面でも堅苦しくなくフレンドリーに話せるから、英語で想いを伝えられることとか、英語を使って人との距離を縮められることの楽しさに気付いて、もっと英語を勉強したい、話せるようになりたいってその時に思い始めたかなあ。あとは、色んな国の人と話すことで自分が知らない考えを知ることができたのもすごく楽しかった。いろんな価値観を共有できるからそれまで見えていた世界がすごく違って見えたのも今でも覚えてる!
――入学して数ヶ月にもかかわらず、新しい価値観を知る楽しさだけじゃなくって、
それを受け入れて自分の中に落とし込んでいたっていうのすごい!その後、APUに帰ってきてからは他に力を入れた活動はある?
中村: その後海外ボランティアでフィリピンとタイに渡航したよ!
私が小学生か中学生の時にカンボジアの子どもたちに密着しているテレビ番組を見て、世界には3食まともに食べられない子がいるんだってことを初めて知って、“生まれた場所が違うだけなのにどうしてだろう “とか“格差ってどうやって生まれるんだろう”って漠然と疑問に思ったことがあって、いつか自分の目でみて、肌で感じて力になりたいって思ったのを思い出して、行くなら今しかないと思って参加したよ。
――実際に行って見てどうだった?
中村: フィリピンでのボランティア活動では、その地域や人々の生活が、ボランティアがあって成り立ってしまっていることにとても危機感を感じたかな。これじゃ私たちにみたいに定期的に誰かが手を差し伸べないと完全に貧困が無くなることはないし、持続可能な社会の在り方じゃないって思った。だからこそ、まず彼らが自立するための支援をしていくべきだと思ったし、そのためには“教育”が必要なんだなっていうことにも気づけた。
――貧困や格差はとても大きな問題だけど、決して他人事にせずに自分の足で現地に向かって、体験して考えるってことを実践してたんだね。タイでのボランティア活動はどうだった?
中村: そのフィリピンでの体験から次は“教育”っていうキーワードで、タイの孤児院スクールに行ったよ。現地の子どもたちがどんな勉強しているかをみたかったのと実際に英語と日本語を教えられるってことで参加した。この活動の目的も、問題を解決したいというより、自分の目できちんと現状を確かめたいっていうことが大きかった。でもいざ行ってみると、初日は私ひとりしかいなくて、現地の子どもたちも先生方も英語が話せない人が多くて、そもそもコミュニケーションが取れないから授業もさせてもらえず、幼稚園児と一緒に折り紙をして遊んだりご飯の時間に少し手伝うだけっていうのが初日だった、、。このままじゃ日本に帰れない!って奮起して、その日の夜にタイ語を100単語ぐらい覚えてたんだよね、、。笑
――100個を一晩で覚えたの!?
中村: うん笑 とにかく必死だった!笑 それで次の日から、覚えたタイ語で先生や子どもたちに話しかけてると、みんな徐々に心を開いてくれて、距離を縮めることができて。通りすがりに名前呼んでくれることが多くなって、それが本当に嬉しかったし、あの日に必死で勉強して良かったって思えた。私の担当は低学年の子どもたちだったけど、卒業間際の高校生に将来のこととか学校生活について聞きたくて、あるとき先生に高校生の授業にも行きたいってことを相談したら許可してもらえて、英語の授業に参加して、TA的なポジションで一緒に勉強することができたんだよね。今でも交流が続いている子もいるし、現地の言葉で話すことで心を開いてくれた感覚が分かったから、本当に嬉しかったのを今でも覚えてる!
――みんな彩子の努力を陰で見てて、先生や子供たちに想いが伝わったんだね。今でも交流が続いてるっていうのもすごい素敵だね!
それに自分からアクション起こして経験を積んで行くっていうのが、まさにイマージョンプログラムでの体験談とすごく共通してるなって思いながら聞いてた!
中村: そうだね。あのイマージョンプログラムで、自分から行動を起こすことで意外とみんな受け入れてくれるし、活動の幅が広がることを実感したし、人と関わっていくことの楽しさを知れたのも大きかったかも。今でもたまに連絡とって、お互いに英語を勉強し合っているし、そんな風にご縁が続いてることも自信になっていったんだと思う。
――“人と関わる”っていることが彩子にとってキーワードになっている気がしたんだけど、卒業してからのお仕事にもそれが繋がってるのかな?
中村: そうだね。人や地域と密に関われる今のホテルのお仕事につながっているんだと思う!
就活を始めた頃はやりたいことがなくて、周りのみんなに置いて行かれないようにって焦ってたけど、今までの自分を振り返って自己分析をやり直したら、結局人と話すことが好きなんだなってことに改めて気づけたんだよね。それからホテル業に絞って、お客様一人ひとりに対して密に関わることができる、地域密着型の運営を実践しているホテルにすごい惹かれて就職したんだよね。
――S N Sで島の生活の投稿を見ていいなぁって思ってたんだけど、沖縄の島にいたんだよね?
中村: うん!沖縄の西表島っていうところで生活してた!コンビニもなくて、信号機もほぼほぼ機能していないような、本当に何もない島だったけど、自然豊かで人も優しくて、仕事終わりは満点の星を海辺で眺めながら同期と話したり、家の周りを散歩してたら大きい魚をくれる島のおじいがいたり、島生活は本当に貴重だったし、最高に楽しかった!
でも、やっぱり仕事がね。。。リニューアルオープンの新規スタッフとして働いてたから、1年目でも任されることが多くて、周りの同期も頑張ってるから自分ができないわけないっていう変なプライドが邪魔してて。それで辛いってことを言えずに働きまくってたら知らないうちに身体を壊して、1か月休養をもらったんだよね。それで一度は戻ったけど、本当にこのままで良いのかなって自分を見つめ直した結果、退職することにしたって感じかな。
――そんなことがあったんだね。全然知らなかったよ。
中村: まさか自分が身体壊しちゃうなんて思ってなかったんだけどね。退職後は、ワーキングホリデーでオーストラリアに行くつもりだったんだけど、すぐコロナになっちゃって。それで、英語に触れながら生活したいっていうのと、いずれ海外に住みたいっていう夢があったから、日本の中心の東京のことを知っておくことは必要なことかなって思って、お客様の7,8割が海外ゲストって言われていた東京のホテルで働くことにしたんだよね。
――コロナ禍の中での影響はどうだった?大丈夫だった?
中村: そうなんだよね。コロナがこんなにも長引くとは思ってなくて海外ゲストを接客したのは確か1回だったかな。すごい打撃を受けたよ。でも周りのスタッフの皆さんがとても素敵な方ばかりで、業務が少ない中でもお仕事は充実してた!ただそれよりも、都会の環境がどうしても自分に合わなくて、居場所を探すために東京の田舎っぽいところを探しに行ったり、引っ越したりして、少しでもストレスなく生活できるように毎日考えまくって生活してた。東京って場所によって雰囲気が全然違うから面白い面もあるけど、どこに行っても人が多くて、“あぁこれが日本の中心、東京か”っていろんな意味で本当に驚いたもん!笑
それで、日に日に都会生活にストレスを感じるようになってたんだよね。
でもコロナ禍でせっかく雇ってくれたところだし、職場の人たちも本当に良い人たちばかりだったから、辞めるのはまだ先かなって思ってたからこそ、すごい悩んだけど、将来ここで生活しているイメージがつかなったのと、自分には帰る場所があるって思ってたから、思い切って辞めようと思って、1年で退職したんだよね。
――なるほど。お仕事は楽しいんだけど、環境が合わないという沖縄の時とは真逆の状態になったのか。私も東京で働いていた時は同じ気持ちだったかも。帰る場所があるっていうのは今いる別府?
中村: うん。。笑 本当に贅沢だよね。。笑 ただ、東京にいたときに1回だけ別府に帰ってきたことがあって、北浜ビーチを歩いてた時に地元のおじさんに話しかけられて、すごく面倒くさかったし、いきなり話しかけてきて何?って適当に合わせて話してたんだけど、最後に“コロナで色々大変だけど、頑張ってね、応援してるよ”って暖かい言葉をくれたんだよね。その時、学生時代もこんな風に地域の人と楽しく話すこととかあったのに、自分の知らない間に心が冷たくなって良くない方に自分が変わっていっていることに気付いてハッとして、別府ってこんな街だったよなって思い出してきて、早くこの街に帰ってきたいなっていう思いが強くなっていったんだよね。
――素敵なエピソードだね。それで東京の会社を離れて、今の別府のホテルに勤務することになるんだね。
中村: その時はとにかく東京を脱出したくて、家も仕事もなかったけど別府に行ったらなんとかなるだろうって思って別府に移り住むことを決めたかな。退職することを伝えて1か月後には別府の家で生活してた。笑
――すごい行動力!笑
中村: (笑)自分でもそう思う。でも周りの人の存在もかなり大きいんだよね。両親とか友達が真剣に相談に乗ってくれるし、特にAPUの友達は肯定してくれる人が多い印象で、やりたいことはやりたいときにやった方が良いよって真剣に言ってくれて。周りの人に支えられているからこそ、思い切った選択ができるんだと思う。そこは感謝しつづけたいなって常々思ってる。
――でも彩子が、感謝の気持ちを持ち続けて一生懸命に目の前のことに向き合って行動してきたからこそ、素敵な人に囲まれてたんだと思うよ!あと、突発的に目の前のものに飛び込むんじゃなくて、考えて行動して、その結果を振り返ってまた次の行動に生かしてるのが素敵だと思ったよ!ところで、今のお仕事はどんなことしてるの?
中村: 今年の6月に鉄輪にオープンした別府ホテル塒(ねぐら)っていうホテルに勤務していて、そこではメインのサービススタッフとして、ゲスト対応から清掃まで割と幅広く業務を任せてもらってるよ!
――このホテルのコンセプトがすごく素敵なんだよね!
中村: そうそう。“別府の街に滞在する”っていうのがコンセプトで別府の街を思う存分楽しんでもらいたいっていう想いがあるホテルなんだよね。別府は街歩きで楽しめる場所も温泉も沢山あるし、美味しいご飯屋さんも沢山あるから、あえてホテルには温泉もレストランも用意してなくて、別府の街丸ごと楽しんでもらえるような仕組みを作ってる。
チェックインも簡易的になってるから、短縮されたその時間でおすすめの観光スポットや過ごし方をお伝えしたり、観光プランを提案する“まちのコンシェルジュ”のような役割も担ってる!
――ホテルで全て完結するんじゃなくて、街全体で楽しんでもらうってことだよね。地域経済の活性化にもなるし!本当に画期的だし、すごい面白い取り組みだよね。
中村: うんうん!私も別府のことを知る良い勉強にもなるし、大好きな別府の魅力を伝えて、喜んでくれる姿を直接感じられるこの仕事が今はすごく楽しいし、やりがいを感じてる!仕事で大変なことがあっても、温泉に入って地域の人たちとお話ししてたら忘れられるし、市営温泉ではおやすみなさいって挨拶をして帰るんだけど、みんな家族みたいに接してくれて、こんな日常が当たり前のようになっている今が本当に幸せだなって思えてるなぁ。
――声からその楽しさがすごく伝わってくるよ。私も鉄輪行く時は泊まりに行くね!
では最後に!これからの抱負について聞いてもいいかな?
中村: とにかく今を楽しみたい!温泉に入って、美味しいご飯食べて、街の人とお話しして。
すごく気楽に聞こえると思うんだけど、それでいいんじゃないかなって社会人になって思うようになった!これまでは就活でやりたいことがなくてすごく焦ったり、将来について毎日考えたり、目標がないと不安になってしまったりしてたけど、今では日々の生活をもっと見つめて、この日常をとにかく楽しみたいって思えるようになった!
あとは人それぞれやりたいこととかできることって違うから、誰かと比べて落ち込まずに自分のペースでやりたいことをやりたいだけやっていくことはこれからも変わらずにしていこうと思ってる!強いていうなら、早く温泉名人になりたいっていうのが最近の目標かな。笑
編集後記:
離れていても、違う場所や環境でお仕事をしても、どこか芯の部分は分かち合えるから、今でも支え合える。彼女と話していると3年のブランクがあったなんで信じられないくらいすごく安心したし、励まされました。どこにいてもお互いの背中を見て、高め合える関係を続けられる友人に出会えて、とても幸せだと思いました。友人がこうやって熱い思いで、同じ九州で働いているという事実もとても心強かったですし、彩子さんの様な友人の存在が自分の原動力にもなっているんだと実感しています。
また、自分と向き合い続ける、そして思いを持って行動し続けるということを実践している彩子さん。これは社会人生活が長くなり環境が変化し続けていくと余計に難しいことだと思います。だからこそ、思いを持って前向きに自身や仕事に向き合い続け、行動し続ける彼女の姿は、沢山の卒業生や現役生の背中を押してくれたのではないかと思っています。
2019年卒業の同期の皆さんにはもちろん!ですが、その他卒業生のみなさん、これからAPUへ入学される学生や在校生など、幅広い世代の方へこの記事を読んでいただけると嬉しいです。
(インタビュアー:福岡校友会 石川万祐子)
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