九州校友紹介 #7 コンプレックスを逆手に! 三刀流ママを支えるAPUマインドとは

別府駅から車で約1時間半。内成の棚田、由布の山を越えてたどり着いたのは豊後大野市にある一軒の洋菓子店。田んぼと畑に囲まれた、ぽつんと佇む小さなお店。そこの共同代表、マネージャーとして働く天野由紀さんは2児のシングルマザー。筆者と同期の2014年にAPUを卒業後、学習塾の運営を経て起業し、今や料理教室をはじめ、野菜ソムリエの資格を生かした商品開発や、洋菓子工房の経営に携わっています。今回は、子育てに商品開発にお店の経営にと奔走する、由紀さんの姿を追いました。

-(車で着いて店に入り)こんにちは!久しぶりだね!美味しそうなケーキとお菓子がたくさん!

由紀:いらっしゃーい。わざわざこんな遠くまでありがとうね。今日はいろいろとお話できればと思います。

(お店の隣のカフェスペースで美味しいケーキとコーヒーをいただき、セミの鳴き声を聞きながらのインタビューとなりました。)

-それではまず、APUに入った理由、きっかけから教えてください。

由紀:地元が大分県豊後大野市三重町出身で、中学生のときにAPUを知りました。当時、勉強できなかったけど、英語だけはできて、塾の先生に英語で頑張ったほうがいいよって言われたんです。県内にAPUがあるってことで、オープンスクール行ったり、学食行ったり、近いから家族でよく行きました。英語得意だし、自分は背が高いこともあって、最初は「CAになりたい!」って夢を持っていました。背が高いのは地元では珍しく、コンプレックスだったけど、逆にそれを活かしたいって思ったんです。

-コンプレックスを逆に活かすって素晴らしいことだね。

由紀:APUには「活動実績アピール方式」のAO入試で入学しました。生徒会活動や、部活動である馬術についてアピールしました。馬術は、もともと動物が好きなこと、あとは珍しいことや人と違うことしたい、お世話することが好きという理由で入部しました。

APUに入学して住んだのはAPハウスで、Rll2階のシェアフロアでした。シェアメイトは最初フィリピン人で、その次の子が台湾人でした。

-APUの印象的な思い出はありますか?

由紀:私結構バイトばっかしてたなー。妹も私立の大学だったから、自分で学費を稼いでいました。バイトは結婚式場・フェリー乗り場・家庭教師とかいろいろしたなぁ(笑)。

自分でも意外だったのは、英語の勉強よりも、日本語の勉強をする時間が多かったこと。APUやハウスで国際学生の子に正しい日本語を教えるため、改めて日本語の勉強をしていましたね。

-そのために「日本語教授法」とかの授業は取りましたか?それとも独学でしたか?

由紀:基本独学でした。でも、言語学に興味があったので田原洋樹ゼミに所属し、卒業論文は「国語教育と英語教育」について書きました。なので、国際学生に日本語教えることが自分の研究と繋がり、そして日本の英語教育のおかしなところにも気付くことができました。

-お、それはぜひ聞きたいですね。

由紀:日本って中学・高校でこんなに英語を勉強しているのに、なんで話せないんだろうって思って論文のテーマにしたんです。話せない原因の1つに、子どもに対する接し方があるなぁと分かりました。言語の教育に限らず、日本人は自分の子どものことを謙遜する。よくできている子がいても、「もっと頑張りなさい」って言って、“何を頑張ればいいか”を具体的に言えていないというのが現状だと思います。日本人は言わんとしていることを分かることが美しいってところがあるけど、海外の人はそれがないからはっきり言う。子どものことをとにかく褒めるし、何が良いのか悪いのかを、抽象的じゃなくて、具体的に言えていると思います。その辺の文化の違いがあって、それが教育に直結しているのかなと思います。

このことから私は海外の子に日本語を教える時、出来たことに対してとにかく褒めて、そして何が出来たのかを具体的に言うようにしました。自分が実際に親になって周りのお母さんを見ていて、「具体的に子どもを褒められていないこと」が日本の教育の大きな問題なのかなって思います。

-そんな面白いことを考えて、それを論文に書いていたんだね。

由紀:海外の子がどうやって日本語を学んで習得するんだろうっていうのを確かめられたのは、ハウスに住んでいたからこそのメリットでした。そして人に教えることが好きなので、講師業で起業することを大学生の時から考えており、在学中に英語の先生の資格も取りました。APUでの国際学生との関わり、家庭教師のバイトの中で、自分が学ぶよりも、人に教える中で一緒に学ぶスタイルが向いているなと思ったんです。どうせ仕事するなら、誰かに何かを与えて、私も何かを得るというスタイルで自分の教室を持つ!という夢を持っていました。

-でも卒業してすぐ起業ではなく、まずは就職したんだよね?就活の話も聞きたいです。

由紀:就職活動に関しては、高校の時の夢であるエアライン業界を目指したけど、夢ばかりで内情を見てなくて、いろんな事情もあって、やむを得ず断念しました。でもエアライン関係で5社、あとは旅行業界、物流系、教育関係の企業にエントリーしました。3回生の2セメスターで必要な単位をほぼ取って、就活に集中しました。もともと大分から出るつもりで、県内は考えてなかったです。結局、学習塾の会社に就職し、愛知県名古屋市の教室の運営を担当していました。生徒のケアや親との面談、雇用関連の仕事に約2年携わりました。そのタイミングで結婚、そして産休・育休に入りました。

周りからしたら早いと思われたけど、子どもが好きなのと、自分が病気がちだったことで、若いうちに早く産まなきゃという気持ちがあり、24歳で一人目を出産しました。大変だったけど、親になって初めてわかることが多かったので、早いうちに産めてよかったと思っています。

-親になって初めてわかることって例えばどんなことがありましたか?

由紀:女性のお客さんに共感できる、共感が得られるってことですね。女性の人生において、出産と子育ては人生における大きなイベントです。それを経験していないで上から目線でいろいろ言っても共感されない。でも自分が出産と子育てを経験したことで、女性のお客さんに共感できるし、共感が得られるんです。例えば、急な注文キャンセルとか、アルバイトさんが子どもの病気で突然の欠勤をしたとき、子育てを経験していなかったら「なんで!?」って思ってしまうかもしれないけど、自分が子育てしているから、「そういうこともあるよね」って、すんなり理解できるし、最初から心構えができるからイライラすることがない。それが出来ているのは子育てのおかげだと思います。あと感謝の気持ちですね。子育ては大変だからこそ、感謝の気持ちがわかります。

-経験したからこそわかるお客さんへの共感や感謝の気持ちって大事ですね。そんな由紀の子育てについて教えてください。

由紀:今6歳と4歳の女の子を育てています。子どもには申し訳ないけど、”子育ては実験!”だと思っています。例えば文字の習得に関して、どんなに参考文献を読んでも、自分の子どもで実験したほうが早いんです。子どもって目からの情報が全てなので、あんまり聞いていなくても、ちゃんと書いてあげると分かってくれるようです。「あ、子どもってこうやって習得するんだ」という気付きがあり、「ママはね、あなたで実験しているんだよ」って言っています(笑)。そうやって言うと、子どもも常に、“ママから見てもらえている”って意識になるようです。

実験の結果で分かった、目からの情報があったほうが分かりやすいことは、自分の仕事にも活かしています。例えば料理教室。レシピは最初文字だけでしたが、イラストをつけたほうがいいなと思って、つけたら好評でした。

-前、Facebookで、自分の字がコンプレックスって言っていたけど、そこについては…。

由紀:そうそう!コンプレックス!でも、例えばここにある「ゴミは各自で持ち帰ってください」という案内はこの字だからこそ、威圧的や命令口調ではなく、丸文字だから、お客さんには申し訳なさが伝わっているようです。自分のコンプレックスを逆に味方に、プラスに、そして励みになったのはよかったですね。

-さっきの身長の話もそうだけど、自分の文字でもコンプレックスを逆手に取れたってことだね。

シングルマザーとして育児も仕事もしているけど、その辺りの経緯について話せる範囲で聞けるかな…?

由紀:高校の時から付き合っていた人と遠距離恋愛の末、社会人1年目に結婚、出産。

1年間の育児休暇を取得しましたが、知らない土地での初めての子育て。保育園も待機児童で…。職場復帰もできず、育児ノイローゼになりました。そして地元に戻りたいと思い、家族で大分にUターンしてきました。上の子の保育園も見つかり、地元で子育てしながら就職先を探しましたが、仕事はなかなか見つからず…。「子どもが小さいうちは仕事なんてしなくていいのよ」と周りからも言われましたが、自分の中には専業主婦になるという選択肢がなく、家庭に入るというタイプではなかったのです。

前職での経験を活かし、講師として起業し、学習支援や料理教室を主宰していました。そんな中で25歳のときに次女が生まれたのですが、田舎は田舎で大変で…「また女の子?」と言われたときはメンタルが崩れました。「跡取りが男じゃないとダメって江戸時代かよ!」って思いました。

離婚に関しては旦那さんや家族と話し合い、お互いの利害が一致しないので、二人の納得した形で離婚しました。ただ、子どもは今もお互いの家を行き来していて、何より子どもがそれで幸せなようなので、これが私たちの“新しい家族の形”だと思っています。子どもを真ん中に今でも大切な家族です。

-おおお。“新しい家族の形”かぁ。

由紀:そうですね。社会的に見て、一般的に言ったら、離婚とかシングルマザーをマイナスにとらえる人って多いでしょうけど…十人十色いろんな形があっていいと思うんですよ。 

そしてこういう考えになったのは、やっぱりAPUにいたって経験が大きいですね。社会性や世間体を重視する友達に囲まれていたら、自分も離婚をマイナスにとらえてしまっていたかもしれません。でもAPUにいたからか、あんまりそういうことに抵抗がなくなって、「世間体より自分たちじゃない?」と思います。APUのみんなと一緒にいた価値観が根付いて、旦那さんもそれを理解してくれましたね。

-APUでの経験が自分の考え方や価値観にも影響しているって“The APU生”ぽいなぁ。

それでは今の仕事について教えてください。

由紀:地域の食材を活用した料理のレシピ開発、プロモーションを行っています。また、ここのお店「洋菓子工房アンティーク」のシェフが、女性目線の商品がほしいと言っていたので、私が「野菜ソムリエ監修」として商品開発することになりました。プロモーションの面では、Instagramを開設し、見てくれた人が来店してくれたり、テレビの取材が来てくれたりと、集客につながっています。

また、このコロナ禍を逆手に取って、この場所だからこその魅力を発信しています。こんな辺鄙な場所なんですが、田舎ならではの癒しを求めて、密を避けて、今ではお客様が市外や県外から来てくださっています。今はマネージャー、共同代表として店舗の運営、雇用関連を行っており、会社の数字やマネジメントについてのビジネス本を読み漁っています。

-最近読んだ本で印象に残っている本はありますか?

由紀:『来場者4倍のV字回復!サンリオピューロランドの人づくり』(小巻亜矢著)ですね。私サンリオのキティーちゃんが大好きで、サンリオは「かわいいは世界を救う」と謳っています。昔は、かわいいは子どものものでしたが、サンリオ好きな人って実は大人が大半で、大人だからこれはダメってことをサンリオが全否定しました。また、男でもかわいいもの好きでいいという考えで、自分が結婚と出産で経験した、男だからダメ、女だからダメという考えに対する疑問と一致して、サンリオの固定観念にとらわれない考えがスッと入ってきました。

あとはピューロランドのホスピタリティですね。お客さんを大事にするうえで、まず大事にすべきは従業員だという考えで、“バックヤードこそテーマパーク”、“顧客満足度は従業員満足度に直結している”と小巻さんは仰ってます。だから私はまずお店のトイレの綺麗にしたいと思っています。スタッフ専用のトイレを建てたいですね(笑)

-ではお店の魅力を教えてください!

由紀:この場所!ってことがまず一つ目の魅力ですね。見たらわかる通り限界集落です。田畑に囲まれていて、家がちょっとあるだけです。今朝とかすぐそこでシカが出ました。うちのお菓子の材料はそんな限界集落で低農薬・有機肥料で育てた自家産米の米粉「ひのひかり」を使っていて、グルテンフリーです。中でもおすすめなのが、「米粉ロールケーキ」と「VEGEタルト」です。米粉ロールケーキは、久住高原育ちの平飼いにわとりの新鮮な卵と上質な生クリームを使い、お口に優しい深い味わいに仕上げました。VEGEタルトは、大分県産の野菜パウダーを使用したカラフル&ヘルシーな米粉タルトです。ライスパフと天然色豊かな野菜チョコレートが入ったタルトにナッツとドライフルーツをトッピングしました。今後、グルテンフリーの商品を求める健康志向の人、県内外はもちろん海外の人にも届けていきたいです。この記事を読んでくれた人、APU生、卒業生には100円オフしちゃいます!

-今後の目標やビジョンはありますか?

由紀:職人の味を守りつつ、女性の活躍を応援するために雇用を生む、女性の進出を支援するといったダイバーシティ経営を目指しています。うちの場合は20代、60代の女性を雇用し、若い子、シルバー世代の育成をしています。そしていつか託児所付きの職場を作りたいです。小さなお子さんがいると働きたくても働けないのが現状なので、そんな社会問題を解決したいと思って、ビジネスコンテストに出たこともあります。しかし、「ママのための」っていうとちょっとビジネスライクじゃないというか…独自性がないとのご意見もいただいたので、どうやってビジネスに結びつけるかを今勉強しています。数字って難しいですね。

-では最後にAPU生へのメッセージをお願いします!

由紀:今の時代、コロナ禍で先が見えない時代で困難だけど、だからこそできること、APU生ならではことを考えてほしいですね。あと、自分自身APUだったからこそ生まれた考え方や価値観を持てたので、APU生であることに誇り持ってほしいです。そして一人で頑張りすぎず、仲間を大切に、一緒に頑張ってほしいなと思います。私も今まで一人で頑張らなきゃ、って思っていたけど、コロナになって考え方が変わりました。コンプレックスを味方に、この状況を逆手に、APU生だからこそ生み出せる、新しい価値を作ってほしいです!

【編集後記】

APUの同期として筆者と一緒に入学、卒業した由紀さんは、自分のコンプレックスに負けず、子育てや起業、様々な困難をも乗り越える、強く逞しいママであり、経営者でした。そんな姿に心打たれ、頑張る同志がいることに、私自身改めてAPU生でよかったと思いました。コンプレックスやコロナ禍を逆手に、そしてそれを乗り越えようとするAPU生、卒業生に、この記事が届きますように。(APU福岡校友会 加納 大)

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