今回の校友紹介は、福岡在住の3期生・加藤さん。熊本校友会副代表の田中健一氏から「Amazonで働いていた校友が福岡にいるからインタビューしてみたら」と教えてもらい、今回のインタビューに至りました。この記事を読んでいる大半の方と同じで、何をされているか全く知らない状況でのインタビューでしたが、どのような話が聞けるでしょうか?
――年末Jumboパーティでお会いした事はあるようですが、お話しするのは初めてですね。宜しくお願いします。まずは自己紹介と、大学時代にどんな事をされていたか、教えてください。
加藤: 初めまして!タナケンさんから紹介されて楽しみにしていました。加藤信一朗、APM3期生で2006年卒業です。学生時代は、音楽屋さんというサークルで、別府市内の幼稚園や医療施設などでボランティア演奏をしていました。自分はトランペットを担当し、サークルの2代目代表を務めました。具体的な名前は憶えていないですが、「頑張っているサークル大賞」的なものに選ばれ、活動支援金として10万円を頂きました!
――音楽系のサークル、良いですよね。私は2004年の夏、オープンキャンパスでAPUへ初めて行ったとき、どこからか楽器の音が聞こえてきたのをよく覚えています。もしかしたら加藤さんの演奏だったかもしれませんね。トランペットは以前から演奏されていたのですか?
加藤: そうかもしれないですね。笑 元々、ピアノをやっていたのですがあまり上達せず・・・中学時代に3か月だけ吹奏楽部でトランペットをやった事があり、サークルの先輩がトランペットを安く譲ってくれたこともあり、大学ではトランペットをやる事になりました。音楽屋さん以外にも、別の吹奏楽サークルメンバーを誘って、Jazzバンドを作ったりと、音楽に明け暮れていました。
――大学時代は、恐らく全員が一度はJazzに憧れる事はあると思いますが、バンド結成までされたのはすごいですね。そのまま、就活でも音楽系をターゲットにしようとは思いませんでしたか?
加藤: 音楽系は考えなかった・・・というか、就活自体を考えていませんでした。笑 旅行が好きだったので、「40歳までは、バイト⇒お金が溜まったら旅行⇒バイト⇒お金が溜まったら旅行という生活をしよう!」と考えていました。それだけそういった生活をしていたら、おのずとその先の道も出来るのではないかと・・・。ゼミの先生(牧田教授)にも、「卒業したらぷー太郎になります!」と言っていたのですが、「就職はしなさい」とご指導いただき、とりあえず一回就職するかという結論になりました。
――今思えば、牧田先生に感謝ですね。笑 就職先を探すにあたって、どういった事を軸に企業選びをされていましたか?
加藤: ぷー太郎になろうと思っていたくらいなので、行きたい会社、やりたい仕事というものが無く、最初は知っている会社やサービスを使った事のある会社にエントリーをしてみました。その後、就活中に知り合った人たちから聞いた面白い会社の説明会に行ったり、就活サイトからのDMで少しでも気になる事があればエントリーをしたり。約100社にエントリーし、60社ほどの説明会に参加しました。
――その後の就活は順調でしたか?どんな会社に入社を決めましたか?
加藤: 筆記試験は得意で、そこで落ちる事はありませんでした。一次面接でも弾かれることは少なかったですが、本気度が問われる最終役員面接で落ちる事が多かったです。やはり就活に軸を持っていなかったので、そこが一番の壁でした。結局、2社から内定を頂くことが出来ました。入社を決めたのは、社員15名ほどのベンチャー企業でした。企業の採用活動のコンサルや、説明会の企画立案・小型就職サイトの運営などを行っている会社でした。
――その会社に決めたポイントはどういったところでしたか?
加藤: 選考途中で社員との飲み会があり、ほぼ全社員と会う事が出来、自分がそこで働いているというイメージが沸いた事が決め手でした。最終面接の前に、他の選考中の企業全てに断りを入れました。入社後、社長から「ボーダーライン上だった」と聞き、冷や汗をかきました・・・。
――それは怖い話ですね・・・笑 私はどちらかと言うと、ある程度会社の規模なども気にして就活をしていたのですが、ベンチャーを希望されていたのですか?
加藤: ゼミの同期では、大手企業に行く人が多く、周りでベンチャーに行った人はいないかと思います。自分は、大手が良いとかベンチャーが良いという想いは無かったですね。
――最初の会社は3年間ほどで退職されたという事ですが、どんな若手社会人生活でしたか?
加藤: 営業に配属されました。若手特有の「根拠のない自信」で、営業なんて余裕だろうと思っていましたが、初日で挫折。何をやったら良いか全く分かりませんでした。1か月目は先輩と同行訪問、2か月目から一人での営業訪問でした。同期が売上を持って帰ってくる中、自分は数字を上げられませんでした。同期は、上司や先輩に相談しながら進めていましたが、尖っていた自分は一人の力でやろうとしていた・・・若かったです。
――それは大変でしたね。どうやって克服していきましたか?
加藤: とにかく数をこなし、経験値を付けていくようにしたのと、やはり先輩に頼るという方法を覚え、自分だけの狭い視野で受注確度などを考えていたところ、先輩の知見を借りる事で、粘り強く営業するようになりました。1年目の後半には売上も伸びていって、何とかノルマ達成する事が出来ました。
――周りを頼りながら、チームで仕事するという事を学ばれて成長されたんですね!2年目以降は大活躍でしたか?
加藤: それが、2年目になったときに配置転換があり、営業から納品チーム(営業が取ってきた仕事の実運用部隊)に異動となりました。具体的には、合同企業説明会の運営(会場手配や資料準備・スタッフ準備など)です。営業と違いノーミスが当たり前で、加点は無くいかに減点しないか、という仕事です。ここでも、最初は慢心・過信があり、自分はミスしないと思っていましたが、ミスというミスは全てやりました。資料の誤字脱字から始まり、手配ミスなどが相次ぎ書いた顛末書は数知れず。お客様のところへ社長と一緒に謝りに行ったこともありました。
――若手時代のミスは、後からは笑い話ですが、当時は大変だったのではないですか?
加藤: 今はそんなに長時間労働するベンチャーも少ないようですが、当時の「ベンチャー社員あるある」的な超長時間労働が存在していて、作業量は効率ではなく時間でカバーすればいいと思っていました。ピーク時には三か月間に渡り土日休みなく働き、月間時間外労働200hを超えたこともありました。タスクもスケジュール管理も全く出来ていなかったのが原因です。でもとても楽しかったです。気持ち的には学園祭準備のノリで進んでいくし、イベントが終わった後の飲み会も楽しかった。
――そして退職される3年目。いかがでしたか?
加藤: 3年目はパーフェクトでした。ノーミスでした。年間60本(=週1以上!)の説明会の企画運営をしていましたが、自分とインターンの学生の二人だけで進められ、上司は承認サインをするだけでした。自分の失敗を後任が繰り返さないように「パーフェクトブック」というマニュアルを作成し、それが完成して数日経った朝、起きた時に「よし、退職しよう!」と決意しました。
――突然ですね。笑 退職を考えるようになったきっかけはありますか?
加藤: 学生時代から、海外で生活してみたいという憧れがあったのですが、学生の時は経済的な理由で留学などを断念していました。社会人になってもどこかにその気持ちは残っており、SNSで友人が別の友人に対して「やりたい事があるならやったら良いじゃん!」とコメントをしているのを見て、関係ない自分が「そうだな」と妙に納得し、ワーホリに行こうと決めました。社会人2年目の頃で、会社にもそれは伝えていました。150万円貯めたら退職しようと思っており、3年目で溜まったので、後はいつ辞めるか・・・という朝に決意しました。
――最終的に即断即決で退職されて、ワーホリはどちらへ行ったのですか?
加藤: カナダ・バンクーバーに1年間行きました。最初の3か月は語学学校で英語を学び、その後は日本食レストランでバイトをしていました。日本人がやっていたお店だったので、ワーホリという割に英語が伸びなかった・・・。笑 これからワーホリに行く学生の皆さんは、もし英語力向上が目的の一つであれば、是非日本語の無い環境を選ぶようにしてみてください。ビジネスで使える英語はビジネスの場でしか身につけられないので、ワーホリの間で覚えたら自分の武器に出来るかと思いますよ。
――カナダでの生活で印象に残っている事はありますか?
加藤: ちょうど、2010年バンクーバーオリンピックのタイミングだったので、カナダ人がかなり熱狂的だったのを覚えています。何となく、カナダ人に大人しそうなイメージを持っていましたが、オリンピックの期間は、普通のオバチャンが電車の中で国家を歌い出し、皆で合唱になったりと、非日常感が強かったです。今回の日本のオリンピックとは違いました・・・笑
――今回の東京五輪でも、本当はそういうオリンピックを体験したかったなぁという思いはありますね。カナダでもトランペットは演奏していたのですか?
加藤: 小遣い稼ぎの意味も含めて、道端でトランペットを吹いたこともありました。また、APU出身のワーホリ仲間から、吹奏楽バンドを紹介してもらい定期演奏を行ったりもしていました。
――もっとこうしておけば良かった、という事はありますか?
加藤: 自分から友達を作るのが得意では無く、待ちの姿勢になってしまう事が多かった為、現地の友人を余り作る事が出来ませんでした。もしあの頃に戻れるなら、バイトでは無くフルタイムの仕事を探し、ビジネス英語の上達と、現地での仲間づくりを積極的に行いたいですね。
――1年間のワーホリを終えた後は、日本に帰国されたのですか?
加藤: はい、日本に帰ってきて、お金も無かったのですが、また東京で働きたいという思いで仕事を探していたところ、人事系のアウトソーサー企業から声が掛かりました。その派遣先として赴いたのが、Amazon Japanでした。中途採用の面接などを数か月した時、正社員募集の案内があり応募したところ無事合格しました。
――Amazonに派遣され、正社員登用されたのですね。それも運命的というか・・・。ワーホリでいまいち伸びなかったという英語力は、Amazonで伸びたのでしょうか?
加藤: 社内メールは英語が7割でしたが、日本人の採用がメインで、上司も日本人でした。実は当時、とあるオンラインゲームにハマり、毎日3時間ほどやっていたのですが、ゲーム内の音声が全て英語だったので、ゲームをしながら気づいたらリスニング力が上がっていました。笑 しばらくして、上司が外国人になったのですが、実際に英語を使う機会が出来て、話せるようにもなりました。ポイントをストレートに話す事や、ロジックの重要性など、日本人上司との違いもそこで学ぶことが出来ました。Amazonの企業文化で、数字にシビアという点があります。提案や仮説に対し、数字で根拠を求められます。それまでの日本人上司と比べ、突っ込み具合が1・2段階深いように思えました。
――最初は東京で勤務されて、いつから福岡に異動されたのですか?
加藤: 5年間ほど採用担当を経験した後、HRビジネスパートナーという、社内の人事労務の担当へ配置転換となり、福岡に異動してきました。
当時、Amazon Japanでは新規拠点を続々とオープンしており、拠点の立上げにも色々と関わりました。自分が採用した人が、今ではセンター長になっていたりします。
――人事という仕事。10年近い経験の中で、どんなものですか?
加藤: 難しい仕事だと思います。人に関する事なので、正解があるようで無い。良い意味でも悪い意味でも期待が外れる事がある。難しいものに向かい続ける仕事です。例えば、社内でハラスメントのような事が発生した場合、加害者・被害者・周りに聞き回って、まるで警察のような事もやります。個人的に仲良い人が加害者になる事もあるので、割り切るというか、一定の距離を保つ必要があります。ポジショニング・立ち回りが難しいところもあります。よく、就職活動中に採用担当の姿を見て、人事の仕事が良いなという方も居て、人事という仕事への興味の入口はそれで良いと思いますが、採用活動は人事の仕事の一部に過ぎません。採用だけやって、人事の仕事をやったとは言えないと感じました。採用以外の人事の仕事はどんなものがあるのか、調べてみると良いかと思います。そこに難しさ・面白さを見つけられたら、是非人事を目指してみてください!
――Amazon Japanで9年間働いて、昨年退職されたという事ですが、どのような経緯があったのですか?
加藤: 退職の1~2年前から、ぼんやり次のキャリアについて考えていました。社内で人事として上のポジションを狙うか、違う領域で新しいチャレンジをするのか。そんな中、2020年3月に肺炎にかかり数日間会社を休む事になりました(コロナではありませんでした)。その時間で、「今、やっている仕事は、そのまま続けていきたいか?」を自問自答した結果、答えはNOでした。また、復帰後に新拠点の設立ラッシュがあり全力で取組んでいましたが、新拠点長から「もっとこういう対応もして欲しい」と更なる要望を受け、これ以上続けていく事は無理だと感じました。2020年8月、2週間ほど夏休みを取り、本を読んだり自己分析をやり直したり、自分と向き合う時間を作ったものの、休み中に答えが出ず・・・。そして休み明けの初日、朝礼に参加した時に「あ、これはやりたいことじゃない」と感じて退職を決心しました。その日のうちに、上司に辞める事を伝え、その場で退職届も書きました。人事なので手続きは理解していたので。笑
――1社目を退職された時もそうでしたが、最終的には即断即決というか、決心が固まる瞬間は一瞬ですね。
加藤: はい笑。周りからも、思い切ったところ・極端なところがあると良く言われます。2019年に結婚をしたばかりでしたが、決心してからすぐに退職日も決めました。10月8日、末広がりの大安です。笑 有休消化も考えると残された出社は1週間だけでした。
――Amazon Japanを退社されてから現在は何を仕事にされているのですか?
加藤: 人事の経験を生かして、個人事業主としてキャリアコンサルタントを現在の生業としています。人事の仕事の中には、社員の皆さんへのコーチ的な部分もありました。キャリアコンサルタントとしては、転職相談などももちろん出来ますが、自身のキャリアについてモヤっとしている人や、現状に大きな不満は無いが、今後についてどうしようか考えている人に対して、自分の知識・経験からアドバイスを通し、その人が描くキャリア自体を一緒に考えていければと思っています。この仕事を通じて、就活時期から3年目くらい⇒30歳⇒40歳など長い付き合いをしていき、その人の選択に寄り添っていきたいですね。
――これから就活というAPUの現役生や、入社して間もない若手、私のようなある程度キャリアを積んできた30代など、あらゆる段階で良き相談相手となってくれる、という事ですね。あまり料金のイメージが付かないのですが、どんなものでしょうか?あと、APU生・校友で相談したいという人に対して特典などありますか?
加藤: 1回目の相談は無料で行っていますので、まずはお気軽に声を掛けて頂き、「こういうものなのか」と感じて頂ければと思います。ワーホリの友達作り同様、自分から積極的な営業は苦手なので、笑、この記事で興味を持ってくださる方がいれば有難いです。特に現役生や若手は、金銭的な面から中々お金を払ってキャリアの相談をする機会は少ないかと思いますが、「自分に投資する」という経験をしてみて欲しいので、この記事を見て連絡いただいた方には、言い値でやらせていただきます!
――言い値とはすごいですね!笑 キャリアについてモヤモヤがある方は、是非話をしてみる事をお勧め致します。最後に、この記事を読んでいる若手の方に、伝えたい事などあればお願いします。
加藤: 面白そうだなと思った事には、どんどん飛びついてみると良いと思います。何かを始める前に色々考えるのではなく、後から「なんでこれに飛びついたのだっけ?」というくらいで良いと思います。何かにチャレンジする時、お金の心配は付いて回ると思いますが、自分の生活に本当に必要なお金がいくらか計算してみたら、意外と何とかなります。日本に居てAPUを卒業して食いっぱぐれる事はまず無いので、自分の興味・関心を優先してチャレンジしてみると良いかと思います。今はコロナで大変な部分もありますが、コロナが無くても、3.11やサブプライムなど、常に世の中に大変なことはこれまでも存在してきました。行動しない理由を作るのは簡単ですが、出来る事にどんどんチャレンジしてみてください!
――ありがとうございました!
【編集後記】加藤さんとはちゃんと話したことがこれまでありませんでしたが、波乱万丈なキャリアを歩んできておられ、その際の判断であったりキッカケがどれも興味深く、気付けば2時間も質問し続けていました。福岡チャプターのイベントでお会い出来るのを楽しみにしつつ、キャリアコンサルタントとしての加藤さんも、迷える大人たちにきっと的確なアドバイスを送られているのだと思い浮かびました。これからも多くのAPU校友を、より良いキャリアひいてはより良い人生へ導く伴走者として活躍される事を祈念しております。(インタビュアー: 福岡校友会 亀谷 健一)
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