記念すべき第10回は、副代表として福岡校友会を盛り上げてくださった亀谷健一さん。
2022年5月からドイツ・フランクフルトに駐在され、福岡を離れることに…!
送別会もかねて、インタビュアーの二人と亀谷さんの3人で、大好きなお酒を飲みながらインタビューを行いました。
ーーよろしくお願いします。真面目なお話をするのは久しぶりなので、少し緊張しますね笑
亀谷:楽しい場で会うことが多かったからね〜
ーー早速ですが、APUに入ったのはどういうきっかけだったんですか?
亀谷:親の仕事の関係で、中2から〜高校卒業までシンガポールにいたんだけど、すごくシンガポールが大好きだったんだよね。シンガポールは多民族国家で公用語が4つもある国だから、いろんな人がいて。
例えば、
・中華系の人同士が話している時は中国語で話して、そこにマレー系の人が来たら、英語で話を続ける。
・相席したテーブルで、別々の宗教・食文化の人が食事をして、お互いを否定することがない。
こういういろんな文化が混ざり合って認め合う環境がおもしろいな〜って思ってたんだけど、その思いが滲み出ていたんだろうね。
高校の先生から「こんな大学あるけどどう?合っていると思うよ!」って言われたのが
APUだったんだ。
それで日本に戻ってAPUの試験受けたんだけど、試験の時に緊張しすぎて周りの人に話しかけまくってたらしいんだよね笑 自分ではあんまり記憶ないんだけど笑
話しかけまくってた前の席の人は落ちたらしくて、ちょっと申し訳ないことしたね。
ーーそんなことがあったんですね笑 たしかに、シンガポールの環境はAPUと似ているかもしれないですね。APU・別府では、どんな学生生活だったんですか?
亀谷:いわゆるAPU生!みたいなことは何もやってないんだよね。ゼミも4年になってからだし。バレーボールサークルと、バイトは少しだけしていたけど、ハウスにも住んでないし、仲間内で飲んだり遊んだりくらいだね。
天空祭とか〇〇weekも行ってないくらいだから笑
ーーえ!!意外ですね。僕たちが知っている亀谷さんは校友会で活動されているイメージが強かったので、APU時代も色々とされていたのかと思っていました!!
その流れで、ここまで校友会を続けられているのはどうしてですか??
亀谷:APUとの関わりが強くなったのは、卒業してからだね。
まず、校友会に入った経緯から話すね!
仕事で東京に行って2年目くらいに、就活相談会のイベントに参加したんだよね。
その時に「校友会っていうのがあるんだ、おもしろそうだな〜」って思って、
校友会に参加してみようと思ったの。
当時2011年の震災のあとだったから、校友会で楽しい企画をやろうという話になって。
その中で、「屋形船」のイベントっていう伝説のイベントがあったの。
ーー伝説??笑
亀谷:屋形船で日本の文化を知りましょうっていう、外国人向けのイベントを開催したんだよね。「このイベント、亀ちゃんできる?」って言われて任せてもらったの。
場所の予約をしたり内容を考えたりして、facebookで告知をしたら、屋形船が30人で満員のところを、29人ぐらい申し込みがあったんだよね。
ほぼほぼ満員となるな、よかった〜って思ってたの。
そしたらなんと、当日来たのは”6人”!
ーーおぉ〜笑 まぁ、あるあるというかなんというか笑
亀谷:そう笑 すごく焦って。
参加者全員にメッセージ送ったら
「Sorry、予定が変わって行けなくなっちゃったよ、have a nice day!」
みたいな返事が20人ぐらいから来て。
have a nice dayじゃねえよ!ってなっちゃったよね笑
結局6人しか来なかったから赤字で。
自分としては、負い目を感じていて、「申し訳ないな、ちゃんとやらなきゃいけないな」っていう思いが芽生えて、そこからイベントを企画したり実施したりするようになったかな。
ーーそこで、辞めようっていうよりは、ちゃんとやろうという気持ちになったんですね。
亀谷:そうそう。だから、校友会にしっかり関わっているのは2011年からだね。もう10年!?やばくない!?
その2011年の年末に忘年会やろうって企画している時に「何かキャッチーな名前ないかな?」という話になって。僕基本的にふざけたことしか言わないから、「年末ジャンボ〜たからくじ〜♪」とか言ったら「お、年末ジャンボいいね〜!!」ってなって!笑
それで生まれたのが「年末ジャンボパーティー」!
ーーえー! 年末ジャンボパーティーの名付け親だったんですか!?!?
亀谷:その時の代表が「言いやすいしいいね!」って言ってくれて、そこから10年ぐらい続いてるもんね。
これで題名は決まったね、”年末ジャンボパーティーの名付け親!亀谷さん!”
ーー完璧ですね!笑 年末ジャンボパーティーって定着してますもんね。Loop.A.S.(APU学生校友会組織)の中でも、「ジャンボ」って言葉で通じますよ。
亀谷:でしょ?
当時はまだ今ほど大規模じゃなかったから、東京でもバーを貸し切るとか
50〜80人ぐらいだったんだけど、今ではものすごく大規模になってるよね。
校友会に関わったきっかけはこんな感じかな!
ーーそれから熊本に行ってからも、校友会として様々な活動をされていましたよね。
亀谷:そうそう。
2014年に熊本に異動したんだけど、熊本に友達が一人もいなくて。
大学卒業して友達になった人って校友会がきっかけだったから、「熊本でも校友会作りたいなー」って思ったの。
事務局に連絡したら、11月の天空祭で熊本出身の人も来るらしいという話を聞いて、そこで初めて天空祭に行った。卒業して5年ぐらい経って笑 そこで熊本の「プリティさん」に会ったの。
ーープリティさん??
亀谷:プリティさん知らない?!もったいない!笑
ものすごくおもしろい方だよ!
日本人の方なんだけど、自分にしっくりくるミドルネームを考えていたら
「プリティ」だったんだって。
「初めまして、プリティといいます」って自己紹介されて、僕もその瞬間に、熊本だから「初めまして、かめモンです」って言ったの。
ーーあ、そこからかめモンの始まりなんですね!
亀谷:東京でかめブーって呼ばれてたから、熊本では「かめモン」にしようと思って笑
そのプリティさんと、もう一人一期生の方(宮田真二氏)が熊本にいたから
その3人を軸に熊本校友会を検討してみたら?ということになって3人で話をしたんだよね。探してみたら、意外と熊本に卒業生がいることがわかって、12人ぐらいで熊本校友会を発足したの。
それから九州を引っ張ってイベントもやったりしたな〜。
阿蘇で3チャプター合同(熊本・福岡・大分)で総会を開いて活動を発表したり、運動会を開催したり。
ーー運動会聞いたことあります! 私たちの一つ上の代が参加させてもらったって!
亀谷:そうそう!
その時は熊本校友会の人数が少ないから、3チャプター集まったら大きいイベントができるんじゃないかと思ってね。
東京の時の経験があるから、大きいイベントをやりたくて!
運動会は別府市の体育館を借りて、大分チーム、福岡チーム、熊本チームの3チーム対抗戦。熊本チームは人数が少なく、現役生助っ人が入ってくれたんだ。お陰で若者が多かったので、熊本チームが優勝した笑 競技は、先輩x後輩での二人三脚をしたり、「箸で豆を掴む」など日本的要素が入った障害物競走をしたり。(余談だけど、当時の一回生で異常に箸遣いの上手い子がいたおかげで熊本チームは優勝。敬意をこめてその後数年、その子は「まめ子」と呼ばれていた)
最後は全員参加のリレーで、各県の名産品をバトンにしてやったな。時間が無い中だったけど、各チャプターでTシャツを作ってお揃いのユニフォームで参加したし、大分チャプターが中心に準備もしてくれて、参加者は楽しそうにしていたのを覚えているよ。
そして熊本で3年ぐらい代表をやってから、2019年10月に福岡に異動したんだよね。
その時に今の代表と話をして、「今年もジャンボパーティーやるぞ!」ということになって。
その年のジャンボパーティーは「九州の文化を世界に広げる」というコンセプトで、僕が熊本で行きつけだった焼酎バーのマスターを招待したの。
彼は英語が堪能で、「海外に焼酎を広める」というミッションを持っている方だったから
海外への意識が高いAPU卒業生にプレゼンしてもらったんだ。
ーー私も参加させてもらって、とても楽しかったです!
亀谷:あれが2019年の12月だから、あのあとコロナでできなくなったね〜。
今年は二人も作る側で、できたらいいね〜。
ぜひ二人にも、いろんなアイデアを出してもらったり積極的に行動していってほしいな!APUの校友は本当にキャラが濃くて、良い意味で頭のネジが外れていたり、ネジは付いてるんだけど違うとこに付いてたり規定外のサイズのネジだったりして、「あ~仕事つまんないな、つまらない大人になっていくな」なんて感じたとき、校友会ほど良い刺激は無いと思うよ。
ーーがんばります!
ーーお仕事について伺っても良いですか?
亀谷:新卒から株式会社ホンダトレーディングって会社につとめていて、本社にいた時は日本で作られた車の部品を海外に輸出、熊本では海外で作られたバイク部品をホンダの熊本工場に輸入する仕事をしてたよ。
福岡では、新規開拓がミッションなんだけど、ホンダグループ以外の工場や会社にヒアリングをして、我々が提供できるものを使って解決できないか提案する仕事をしているよ。
ーー他の系列会社に営業してるんですね!!新卒からとおっしゃっていましたが、決め手とかってあったんですか?
亀谷:売り手市場で、結構有利だったんじゃないかと思うんだけど、将来的に海外で仕事をしたいなと思いながら就活していたよ。
具体的に何の仕事を海外で!というのは特になかったんだけどね。
具体的なことがなかったからよく2次面接で落ちてたけど、最終的に5社くらい内定もらって、商社・貿易・海外というのが決め手で今の会社を選んだね。
ーーやっぱり、海外っていうのが大きかったんですね。
亀谷:そうだね!希望も出していたし。奥さんとも付き合う前に将来的についてきてくれると嬉しいって話もしてたくらい笑 そしたら、治安・文化・医療・教育的にも良い環境のドイツへの駐在の話が来て、断る理由がなかったね!
ーー転職とかはあまり考えなかったんですか?
亀谷:いい質問ですね笑 これねー、簡単に言うと勇気がなかった。
ーーということは転職したかったんですか?
亀谷:うん、ボヤっと考えて、転職サイトを見たりしたことは何回もあるかな。
前に深層心理のところで自己分析したことがあったんだけど、
結果、長男だから親を安心させたいという思いがあるんだよね。
親が子供に望むものってちゃんと大学に進学して、仕事して、みたいなのがあるじゃない?
それだけが判断軸じゃないけど、そこから転職するってなった時に、ベンチャーとかに行こうとは思わなかったかな。今の会社に定年までいるって決めているわけではないけど、今のところ大きな不満はないかな。
人生の中で、僕自身が世の中の何かを大きく変えるかって言うと、そうじゃないと思うんだよね。だから、企業の意向に従って働いているって考えると、つまらないのかもしれない。でも、企業が一緒に何かをするパートナーだと考えるのであれば、おもしろいんじゃないかなと僕は思う。
ーー今までご両親を安心させたいと思われてたということですが、ご自分が父親の立場になられてお子さんに対してどう思われていますか。
亀谷:普通に進学、社会人っていうのも良いと思うんだけど、やりたいことが見つかって、真面目に向き合っていくのであればそれが良いと思ってる。
子供が集中してやってたらそこには茶々いれたくない、
終わったらがんばったね。よくできたね。って褒めてあげたり、また今度も頑張ろうよ。って励ますように意識してるかな。
小さくてもいいから成功体験をたくさん感じてほしいかな。
ーーお子さんにも海外の経験をさせたいと考えられてたんですか?
亀谷:やっぱりさせたいよね!!
でも、そういう経験をしてほしいから今回の駐在は嬉しいけど、大学進学のタイミングで
海外に永住ってなっちゃうと寂しいよね〜。
ーーああ〜。でも十分ありえますね。
亀谷:そう。18歳くらいまでは寄り添って、そこからは完全に子供たちの人生だとは思うんだけど、やっぱり、、寂しいところはあるよね〜。
俺は15歳で親元を離れてるから、20歳の時に父親と飲んで話した時に、
父親に「18歳くらいまでは一緒にいれると思ってたから、やっぱり寂しかったんだよね」って言われて。酔っ払ってたのもあって号泣しちゃったよね笑
ーーいい話。でもやっぱり寂しいですよね。
亀谷:そうだよね。申し訳ないとかじゃないけど、やっぱり寂しいよね。
今上の子が3歳で、8歳くらいになったらお風呂も一緒に入れないのかな。あと5年でそうなっちゃうと思うと寂しいね笑
ーーお父さん大好きになる可能性もありますよ。
亀谷:それはなるよ笑 それは決まってる笑
ーー自信ありなんですね笑
今日は校友会のお話や父親としての思いなども聞けて、より亀谷さんを知れた気がします!せっかくいろいろ知れたのに、もうすぐドイツに行っちゃうのが寂しいです…。
ーードイツに行かれる前に、言い残したことはありますか?
亀谷:あっちでの生活が落ち着いてきたら、是非ドイツの校友を集めて、ヨーロッパチャプタードイツサテライトを立ち上げたいな。熊本に次いで2拠点目。3拠点立ち上げたら、APU校友会の歴史に名が残るでしょ笑 最後まで読んでくださっている方で、ドイツへ旅行・出張予定なんて方は是非お気軽にご連絡ください!
福岡校友会も、インタビュアーの二人や、長崎のこってぃ(※石川万祐子氏)も加わって、かなり推進力も高まってきたと思うから、加納代表たちと福岡を・九州を盛り上げていってもらえればと思っております!
いやー、本当に楽しかった。二人が一回生の時からもう5年来の知り合いだし、ここ1年は徒歩圏内にお互いの家があったのに、もっと交流していれば良かったね。それが福岡での一番の後悔かな笑 よし、カラオケ行こうカラオケ!!
編集後記:
筆者が学生の頃からお世話になっている亀谷さん。この1年とても近くに住んでいて、魚釣りやジムに行ったりお宅にお邪魔したりとたくさん遊んでいただきました。今回改めて(初めて?)真面目な話をしてより亀谷さんのことを知ることができました。ドイツに行かれて寂しいですが、またお会いできるのを楽しみにしています!
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